店舗フォトジェニック集
Photogenic
見慣れたものを、見慣れたように撮らない
投稿日:2026/8/8     更新日:2026/8/8
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photo volvo
coordinator misaki&Mr.Lee
studio Yokohama aoba
地動説が受け入れられるまでには、長い時間がかかったと言います。
私たちは毎日、太陽が東から昇り、西へ沈む姿を見ています。その光景だけを見れば、「太陽が地球の周りを回っている」と考えるのも自然なことだったのでしょう。
しかし、視点を変え、全体を見渡すことで、その常識は覆されました。
自分の目に見えているものだけが、真実とは限らない。
これは世の中のあらゆる事柄に通じることですし、写真もまた同じではないでしょうか。
私たち撮影者は、目の前にいる人、背景、光を見ながら、どのように撮影するのかを判断します。
被写体となる人はその都度変わります。しかし、背景や光はそれほど大きく変わりません。なぜなら、私たちはいつも同じ場所で撮影しているからです。
毎日のように同じ場所に立ち、同じ背景を見ている。
そうすると、「見慣れたものを、見慣れたように撮影する」ことが当たり前になっていきます。
そして怖いのは、その「当たり前」が、いつしか「ルール」にすり替わってしまうことです。
「ここではこう撮る。」
「子どもはここに配置する。」
「この背景はこう見せる。」
誰かがルールとして決めたわけではありません。
それでも、同じ撮影を繰り返しているうちに、いつの間にか「このように撮らなければいけない」という文化が出来上がっていきます。
最近、平面的な背景が増えています。
これは一つの時代の流れとも言えますし、写真館という場所が自然にたどり着いた結果とも言えるでしょう。
平面的な写真の特徴は、背景が分かりやすいことです。
どこで撮影したのか。何と一緒に撮影したのか。背景そのものが明確に写るため、記念写真として非常に分かりやすい撮影方法です。
しかし、その分かりやすさと引き換えに失われるものもあります。
その一つが、被写体そのものの良さです。
いつも同じ場所に座らせ、いつもと同じ距離から、いつもと同じ声掛けで撮影する。
背景をきちんと見せることを優先するあまり、本来その子が持っている動きや表情、その瞬間にしかない空気まで、背景の中に当てはめてしまうことがあります。
背景をしっかり写すことが悪いわけではありません。
問題なのは、それしか選択肢がないと思ってしまうことです。
では、何が私たちの視野を広げてくれるのでしょうか。
私はその一つが、
「見慣れた背景を、見慣れたように撮影しないこと」
だと思っています。
方法は簡単です。
いつもの背景から、被写体を離して撮影してみてください。
背景との距離が生まれれば、被写界深度によって背景はぼけます。前景を入れれば、さらに空間に奥行きを作ることもできます。
しかし、ここで一つ疑問が生まれます。
「それでは、せっかくの背景が何なのか分からなくなってしまうのではないか?」
確かにそうです。
いつも通り撮るのであれば、木馬も、かわいらしい背景もぼかさずに見せるでしょう。
せっかく作られたインテリアなのだから、きちんと写したい。
そう考えるのは自然なことです。
しかし、背景とは、本当に鮮明に写っていなければ背景として成立しないのでしょうか。
昔、Lee社長が書いた写真分析に、このような言葉がありました。
まずはデザインされている写真・・・
バランスとは少しちがった話だ。バランスは四角形の中にあるいろいろな要素がうまく調和して構成されている部分にポイントがあるとすれば、デザインされているというのは四角形の中にあるいろいろな要素が調和して構成されていることを基本にして一つのイメージが形成されていることを言う。これも、どこかの本に書かれているのではなく文章を書いてみるとそうなるのだ。バランスを基本にして四角形の中に色々な要素がお互いに関係を持ちながら一つのイメージの中で物語的なものが含まれているものを好む。
次にそのままとまれ・・・
ここで重要なのは、**「一つのイメージが形成されている」**という部分だと思います。
背景にあるものを一つひとつ鮮明に説明する必要はありません。
木馬がぼけていてもいい。
花がぼけていてもいい。
背景の細部が分からなくてもいい。
それぞれの要素がお互いに関係を持ち、画面全体として一つのイメージが形成されているのであれば、それらは十分に背景として役割を果たします。
今回の写真もそうです。
まず目に入るのは、右下にいる子どもの小さな背中です。
そこから背景へ視線を移していくと、花があり、カーテンがあり、そして手前には大きくぼけた木馬があります。
木馬の細かな形まで見えるわけではありません。
しかし、私たちはそこに何かがあることを認識し、その色や形、ぼけ方を含めて一つの空間として受け取ります。
現在ではAIでさえ、ぼけた背景に何が存在しているのかをある程度認識できます。
であるならば、人間が写真を見るとき、背景を理解するために、そのすべてが鮮明に写っている必要はないはずです。
背景を「見せる」ことと、背景を「使う」ことは違います。
木馬を見せるために木馬を置くのではなく、奥行きを作るために木馬を使う。
花を見せるために花を置くのではなく、画面のバランスや世界観を作るために花を使う。
背景を説明するために撮影するのではなく、被写体をより魅力的に見せ、一枚のイメージを形成するために背景を使う。
そう考えることができれば、見慣れた場所であっても、写真の選択肢は一気に広がっていきます。
見慣れた場所だから、いつもと同じように撮る必要はありません。
むしろ、見慣れた場所だからこそ、一度そこから離れて見る。
それだけで、今まで背景だと思っていたものが前景になったり、主役だと思っていたものが脇役になったりします。
視点を変えることで、それまで見えていなかったものが見えてくる。
地動説の話ほど大げさなことではありませんが、写真においても、その小さな視点の変化が新しい一枚を生み出すのだと思います。
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