Staff BlogYokohama Aoba

Natsuko
横浜青葉店

高川夏子

こんにちは!
横浜青葉店のなっちゃんです^^

3歳頃から大人になるまで絵を描く仕事に就くのが夢でした。絵で勇気やあたたかい気持ち、元気を届けられる人になりたいな~と思っていました。

いつからか夢の形は変わっていき、
今は写真でそんな想いを届けられる人でありたいと思っています!

ツールが変わっただけで、夢や想いは変わってないんだなぁ、と最近しみじみ思っています。笑

写真と子供と漫画とももクロが大好きです!
おすすめな漫画などありましたらぜひ、教えてください^^笑

嫌われる勇気③第2夜

2018/11/30

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やはり微妙に心配されてるらしいこのブログ。。。

今、勉強するのが楽しくて、やりたくてやってます!

「わぁ~、楽しんでるな~!」って感じて貰えるやり方を模索していきますね。笑

 

今回は2章のまとめです~!

これを踏まえての自分の考えは、次のブログで更新します。

 

 

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◼︎なぜ自分のことが嫌いなのか

 

・自分の短所ばかりが目につく

→「自分を好きにならないでおこう」と決心しているから

→自分を好きにならないことが、あなたにとって「ためになること」

 

・例:こんなヤツ(自分)となんて、誰も付き合いたくないだろう

→他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れている

→傷つくくらいなら、最初から誰とも関わりを持たない方がましだと思っている

→だから自分を嫌って、殻に閉じこもる

 

自分を嫌うあなたの目的は、他者との関係の中で傷つかないこと

 

・対人関係の中で傷つかないことなど、基本的にありえない

→大なり小なり傷つくもの

→あなたも他の誰かを傷つけてる

 

 

◼︎劣等感は、主観的な思い込み

 

・劣等感

→自分には価値がないのだ、この程度の価値しかないのだ、といった感覚

 

劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのだ

→例えば「背が低い」を例にする

→本人がいかに劣等感を感じていたとしても、他人からは「人の警戒心を解く才能」に見えることもある

問題は、その身長に本人がどのような意味づけをするか、どのような価値を与えるか

 

→主観は、自分の手で選択可能

 

 

 

◼︎言い訳としての劣等コンプレックス

 

・人は無力な存在としてこの世に生を受ける

その無力な状態から抜け出したい、という普遍的な欲求を持っている

→「向上したいと願うこと」

→「理想の状態を追求すること」

優越性の追求

 

・その理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚をいだく

→劣等感

 

優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である

→劣等感も、使い方さえ間違えなければ、努力や成長の促進剤となる

 

 

劣等コンプレックス

→自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態

→「私は学歴が低いから、成功できない」というように、「AだからBできない」という論理を振りかざしている状態

問題は、そうした現実にどう立ち向かうか

 

→1章で出てきた目的論で言い換えるのであれば、

→「学歴が低いから、成功できない」は、「成功できない」のではなく、「成功したくない」なのだ

→その理由・目的は、

一歩踏み出すことが怖い、現実的な努力をしたくない、遊びや趣味の時間を犠牲にしてまで変わりたくないetc.

 

→つまりライフスタイルを変える勇気、自分を変える勇気を持っていない

 

 

 

◼︎自慢する人は、劣等感を感じている

 

・「AだからBできない」と言う人は、

「Aさえなければ、私は有能であり価値があるのだ」と言っているのと同じ

 

劣等感を長く持ち続けることに我慢できる人は誰もいない

 

劣等感がある状態、それは現状の「わたし」になにかしらの欠如を感じている状態

→欠如した部分をどう埋めるか

 

健全な姿は、「努力や成長を通じて埋めようとすること」

→そうする努力がない人は、「もしも学歴さえ高ければ、自分は容易に成功出来るのだ」と、可能性の中で自らの有能さを誇示する

劣等コンプレックス

 

・劣等コンプレックスは、優越コンプレックスに発展していくことがある

あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸ること

 

→権力者と交流があることをアピール、手柄自慢、不幸自慢etc.

→他者より優位に「特別」であろうとする

 

自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない

→そうでもしないと、周囲の誰もひとりとして「こんな自分」を認めてくれないと恐れている

 

 

 

◼︎人生は他者との競争ではない

 

「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上を目指そうとする競争の意思ではない

→誰とも競争することなく、ただ前を歩いていけばいい

 

健全な劣等感とは、他者との比較ではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの

今の自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある

 

 

◼︎敵と仲間について

 

対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることが出来ない

→競争や勝ち負けを意識すると、必然的に生まれてくるのが劣等感

 

・常に自分と他者を比べ、勝ち負けを考えているとどうなるか

→他者全般を、世界を、「敵」だと見なすようになる

 

 

・他者はそれほどあなたを見てる?

→敵視してる?

 

・例えば、「幸せそうにしている他者を、心から祝福できない」

→それは対人関係を競争で考え、他者の幸福を「自分の負け」と捉えているから

 

「人々は私の仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになる

 

 

 

◼︎権力争いから復讐へ

 

・私的な憤り(私憤)と、社会の矛盾や不正に対する憤り(公憤)は種類が違う

→私憤の発露としての怒りは、他者を屈服させるための道具に過ぎない

 

もしも面と向かって人格否定、罵倒されたら、その人の隠し持つ「目的」を考える

→相手の目的が「語り合うこと」ではなく、

「権力争い」「闘うこと」の場合、

相手は勝つことによって、自らの力を証明したいのです

 

→仮にあなたが言い争いを制した場合、相手は「復讐」の段階に入る

 

・復讐の例

→親から虐げられた子供の場合、

→非行、不登校、リストカットetc.

 

→上記のことは原因論では、「親がこんな風に育てたから」となるが、

→目的論では「子供が親に復讐するため」という目的のための行動なのだ

 

 

 

◼︎非を認めることは負けじゃない

 

・面と向かって人格否定されたら

→それが相手からの権力争いだと察知したら、いち早く争いから降りる

→相手のアクションにリアクションしてはいけない

 

・怒りをコントロール、我慢するのではない

→怒りという感情を使わないで済む方法を学ぶのだ

怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段

怒りを使わないコミュニケーションは可能

 

→怒りではなく、言葉でコミュニケーションをとろう

 

 

・権力争いについて

いくら自分が正しいと思えた場合でも、それを理由に相手を非難しない

あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話

 

・誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらは全て「負け」ではない

 

 

 

◼︎直面する「人生のタスク」をどう乗り越えるか

 

アドラー心理学の行動面の目標:

  1. 自立すること
  2. 社会と調和して暮らせること

 

心理面の目標:

  1. わたしには能力がある、という意識
  2. 人々はわたしの仲間である、という意識

 

↑これらの目標は、アドラーの言う「人生のタスク」と向き合うことで達成できる

 

 

・ひとりの個人が、社会的な存在としてら生きていこうとするとき、直面せざるを得ない対人関係

人生のタスク

→仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスクの3つに分けることが出来る

 

 

仕事のタスク

→仕事の対人関係

→成果というわかりやすい共通の目標がある

→少しくらい気が合わなくても協力できる

→協力せざるを得ないところもある

 

交友のタスク

→もっと広い意味での友人関係

→数には何の価値もない

→考えるべきは、関係の距離と深さ

 

 

愛のタスク

→恋愛関係と、家族関係(主に親子関係)

→恋愛や親子は「別れる」という選択肢がある

→親子関係の難しさはそこにある

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