Staff BlogNagoya

Picture57-探求

2016/1/27

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スタジオで働く私たちには毎日多くの出会いがあり、初めて人と人が出会う瞬間というのは、お互いに少しの期待と、少しの不安が入り交じっているものです。スタジオで過ごす二時間という時間というのは、期待と不安をお互いに整理をしていきながら、最後には共感できる楽しみや思い出がつくられるために、充分な時間であると思います。
 
カメラマンである私たちは、人にカメラを向けます。カメラを向けることは、違う言葉で言えば、関心を向けることと同じことで、カメラマンである私たちは常に人に関心を向けることに努めていることになります。
 
誰でも同じように撮影をしていいのであれば、関心を向けることは必要ないかもしれません。ただ、誰でも同じように撮影をすれば、その人の自然さを撮影することができなくなります。そのためには私たちが被写体に関心を示しながら、その人の自然さを少しずつ確認できるような条件をつくっていくことが重要になり、スタジオに入っていた時にはまだ抱えていた不安という荷物をゆっくり降ろしていくことになります。
 
この過程で、その人の多くのものを確認することができます。出会った時は不安と緊張で少し強張っていた表情のその人を確認し、30分後には優しく微笑んでいるその人を確認することができます。1時間の撮影の中で、被写体の、何を、どこまで、発見し、そして、それをどのように記録していくのかというのは、私たちと被写体が過ごした過程と、その濃さによって決まるのだと思います。
 
カメラマンが放つ関心の矢の強さは、写真で表現できるものの幅を決定します。被写体の持つ魅力をどのように感じとり、その魅力をどのように写しだすかというのが、カメラマンが持つ世界観です。
 
カメラマンとして撮影をしていくと、誰でもそうですが、前に進めなくなるような、分厚い壁が突如と自分の前に立ちはだかる時がきます。壁を必死でよじ登ることができれば、新しく自分が表現できるものが増え、その壁を突破することができないと、同じ場所をグルグルと周ってしまうだけになってしまいます。
 
表現するには技術が必要で、技術を身につけなければいけません。そのための技術が何か政界は分かりませんが、[何を写したいのか?]、という問いに、私たちが答えること以外には、結局のところ答えはありません。一枚の写真に表現したいものがあるからこそ、カメラを手にするのであり、表現したいものが表現できているかどうかが、その写真の良さだと思います。
 
[何を写したいのか?][写真とは何か?]、私たちが持っている認識を変化していくことで、私たちが表現する⒈枚の写真が変わっていきます。私たちが持たなければいけない認識は、被写体の自然な美しさを表現しなければいけないということであり、それは言い換えれば被写体の個性であり、被写体の固有な美しさを表現することです。どの撮影も0から作られる必要があり、その内容はどれも異なる必要がでてきますし、異なっていることが自然な証拠だとも言えます。
 
では、写真において、一人の人の特別さをどこで確認することができるのだろうかと考えてみると、行きつくところは、その人の顔であり、その人の表情だと思います。人が嬉しいことや、喜ぶことや、悲しいと思うこと、感情という目に見えないものを顔で表現します。感情だけではなく、その人が持つ特別な魅力はその人の固有の表情によって伝達されることになります。被写体のその固有の表情をどのようにして発見して写真に記録するかが鍵となります。撮影がよくなるためには、人に深く入るという言葉をよく聞きます。そのようにしなければ、被写体の固有の美しさを発見することも、撮影することもできないからだと思います。

この写真に写る彼女とは実際に会ったことはありません。しかし、この写真に写る彼女はとても美しく、その美しさは画一的なものではありません。この写真を撮影したカメラマンも、自分のなかで重要な発見があったのだと思います。それはカメラの技術というよりも、人の技術というのでしょうか。カメラマンが真剣に探究した結果、被写体の新しい美しさを発見できたのだと思います。

被写体の美しさを自分なりに探して探して、その探求の過程が今まで以上に真剣だと思います。だから発見した時の喜びも特別なものになります。

今から始まったといってもいいと思います。今から彼女なりの世界観で、美しさを表現していくことを願います。彼女なりの関心の矢を向け続けることでそれは可能だと思います。

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