Staff BlogNagoya

picture53-技術とは何か

2014/6/12

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技術とは何か?
 
私たちの技術というのは何なのでしょうか?
私たち写真家はただ一枚の「写真」を提供しているわけではなく、お客様が望んでいるものを美しく撮るという技術を提供しています。当然のことですが私たちは技術職です。
光、インテリア、衣装、写真を構成するうえでの良い要素が撮影空間に存在していたとしても、最終的にそれらを一枚の写真としてつくりあげるのは写真家であり、写真家のその手に委ねられます。となると技術というのは写真家その人が持っているものであり、その技術の総和というのが写真館の技術ということになります。
 
写真館としてどのお客様にも変わらない写真(それがあると仮定して)を提供するのであれば、マニュアルを作成し、写真を撮る過程全てを同じにする必要があります。撮影行為を形式的にすることによって、人が違っても同じ品質を維持することができます。写真家によって品質が全く違うとなればそのスタジオは問題でしょうし、HPの写真を見て来店されたお客様がその通り写真を撮影してもらえなかったとしたら、それもまた問題でしょう。となると形式的な過程というのは、お客様に一定の内容を満たした写真を提供する為に必要なものということになります。
 
そうなると写真館でいう技術というのはこの一定の水準を保つ為のマニュアルを指すのでしょうか
その内容の違いが写真館の違いであり、技術の違いということになるのでしょうか?

人の撮影をしている写真家であれば誰でもそれは分かるようにそうではないと断言するでしょう。写真をつくる為のレシピを全てマニュアル化することなど不可能だと。

その理由は、光、インテリア、衣装など、写真に使用する要素は常に同じかもしれませんが、撮影の度に被写体が違う為、その要素をどのように使用するかは必ず変化します。ここは○○で、あっちは△△でというように形式化できる部分というのは勿論ありますが結局それには限外があるということです。マニュアルとして書ける内容というのは、書店で販売されている参考書程度のものであり、それが限界ということになります。
マニュアルというのは最初の手解き程度のものであって、私たち技術を示すものにはなり得ません。
 


では技術をどこで確認することができるのでしょうか?
 


私は被写体の存在を美しく表現する為にどんな光でも自由自在に使いこなすことができます。
 
私は被写体の心を軽くする為に体験したことのないほどの楽しみを撮影を通して提供することができます。
 
私は被写体の魅力を引き出す為のコーディネートを提案することができます。
 
私はありのままの関係が表現できるような自然な写真を撮影することができます。
 
このような技術を私たちはどこで確認することができるのでしょうか?
撮影中のカメラマンの動作でしょうか?勿論それもあると思います。ただ私たちは演劇者のように私たちのパフォーマンスだけをお客様に提供しているわけではありません。そのパフォーマンスというのは良い写真を撮る為の手段であって、私たちの技術の集大成が確認できるものというのは「写真」です。写真家の技術が表れたものというのが写真であり、当然ですがそれ以外に上で述べたような技術を確認することはできません。写真は真実を表現することはできませんが、持っている技術に対しては嘘をつくことはできません。修正しない限り…。
何を当たり前なことをと言われるかもしれませんが、とても重要なことだと思っています。誰からも当然のことであるという事柄ほどそっちのけにされやすいものはありません。その理由は当然とされているからです。
写真館は写真だ、これが写真館の本質です。その当然の事実はしばし私たちの目を違う方向に追いやることがあります。ある時は技術向上をそっちのけにして形式的なシステムだけに集中し、ある時は写真をそっちのけでサブのサービスだけに集中し、ある時は…。
 
重要なのは私たちが写真家としてどの地点にいるのかという問題よりも、次にどの方向に進むのかということの方が重要であり、それは私たちに「技術がある、ない」ということではなく、私たちの技術をどう発展させていくのかということが核心的な問いになります。
 
写真家としてもっと良く撮りたいと誰しもが思うのは当然です。その為にどうにかして多くの技術を手に入れようと躍起になることもあります。
ただよくよく考えてみると技術というのが先立つわけではなく、私たちが果たすべき内容(撮るべき内容)というのが先立ちます。美しく撮りたいからもっと光を考えるわけであって、美しく撮りたいからもっと空間を考えるわけであって…、この写真家として果たすべ内容というのが私たちの方向であり、写真を決定づけるものになります。
そうであれば当然写真の方向性によって必要な技術は変わってくることになり、その方向性によって求めるものも変わってきます。
繰り返しになりますが写真の方向性というのは技術よりも先に立つものであり、写真を決定づける核心になるということです。
 
では私たちの技術はどのように発展するのでしょうか?
 
一つ目は写真の方向性について常に追求していくことなのでしょう。なぜならばそれが写真を決定づける核心だからです。その為に何が必要かは答えなどありません。ただひたすら考えていく以外は。追求していく過程で世界観というのは少しずつ形づくられていくものです。一朝一夕でつくられるものではありません。
 
二つ目は常に実践する主体であり続けることであると思います。Volvoのフォトジェニックの文章にこのように書いてありました。(Volvoというのは車の名前ではなく、Lifestudioのフォトグラファーの名前です。ご存知かと思いますが、特別紹介させて頂きます。)
 
どんなに良質なシステムがあったとしてもそれを誰もが活用できるわけではありません。
私達がこの自由な撮影スタイルに一種の不自由を感じてしまう理由のひとつに「自ら件を作る」ことが出ないことがあげられます
人は「化」が起これば何かしらの成長がありますがそれと同時に「順」を目指します。
が成されていくと言う事は、マニュアルの無いはずの撮影にマニュアルを作り出してしまう事になります。それは個人の中だけにある「自分のマニュアル」です。その容は様々ですが、自分のクセや店の文化、よく見る写真や撮りやすい写真などです。
決してこれがいわけではありませんが、もし自分のマニュアルだけを用いて撮影をしていくのであれば、この能動的システムは機能しなくなります。
つまりこの撮影システムを機能させるには、私達が「件」を作りそのプロセスをめていく事が必要と考えます。そしてそれはまた化と順」のいとなり、また新たな「件」を必要とします
 
写真に対する方向性が決まったとしたら次は実践していく過程が必要になります。それが決まったからといって当たり前ですが写真が変わるわけではありません。その過程を通して少しずつ何かをものにし、写真家として自分が求めていた写真が必ず表現される間というのがあります。その瞬間こそが写真家として発展した瞬間であり、自らが納得できる瞬間でもあります。Volvoの文章にもあるように写真家その人が、条件を設定し自ら実践していくという反復運動というのが発展していく鍵となります。
そうなるとやはり私たちの思考を停止してしまう可能性のあるマニュアルといものとは上手く付き合っていかなければいけません。上手く付き合っていくということは結局は常にそのマニュアルに対して批判できる姿勢を持っていることを言うのでしょう。
 
写真をはじめてまだ間もないですし、写真のことをそこまで多く知っているわけではありません。ただ写真が発展する為にはどうすればよいのかという問いに対して答えるのであれば、核心を追求していくことでしょうか…。
 
私たちの持っている技術に対して嘘をつくことができないのが写真です。できることしかできないといことです。この写真はどんな技術が凝縮されているのでしょうか?一言で言うのであれば「最適化された写真」と言うこともできるでしょう。最適化されたというのは全ての構成要素が適切な場所に整理され、意味を持つということです。言い換えれば不適切で無意味なものが混合しているほど写真は良くないということです。
写るストロボ、写るメイク道具、写る靴、持つファンデーション、それらの構成要素と不自然なく溶け込む被写体。用意された空間の中に被写体が存在しているのではなく、被写体の存在に合わせて空間が用意されたように見えるというのがこの写真の特徴であり、写真家の最大の技術だと思います。そのような一枚に仕上がる理由というのはその写真家の世界観が明確だからです。
「つくられていない美しさ」という世界観を現実的な形として表現できた一枚ではないでしょうか。
 

Photo by Lee   PhotoEssay by Nishi
 
 

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