Staff BlogNagoya

picutre51-肖像写真

2014/5/9

947 0

肖像写真とは?


人が肖像写真に求めるものとは

 
写真がまだこの世になかった時代、人は絵を使って自分の姿を残していました。撮影技術が生まれてからは「絵から写真」として変わり、それを使って自分の姿を残すことを楽しむようになります。
絵や写真など様々なツールを使って自分の姿を目に見える形に残すということは、自分がここにいるという安心を少しでも得たいという人の素直な心の表れのようにも思えます。そしてその自分の姿を残せるのだとしたら「ただ美しく…」、そう願うのは当然なことなのでしょう。

また、人は一生自分の顔を自分の目で直接見ることはできません。鏡を通して、絵を通して、写真を通して、何か一つの媒介を通してでしか、自分の顔を確認することはできず、ある意味直接見ることのできないその顔は本人にとっても未知なるものなのかもしれません。
その未知であるという事実があるからこそ、人は自然とそれを知りたいという願いをもつようになり、同時に写真の必要性も生まれることになります。

人にとって肖像写真を残すことを今述べたことを意味するのだとしたら、フォトグラファーの役割というのは、「まだ見ぬ被写体の美しさを表現すること」、ということになります。まだ知らない被写体の美しさを共に引き出すことによって私たちフォトグラファーはその役割を見出すことが可能になり、この命題を持ってどの撮影に臨むことになります。
 
 

余談ですが、私は「緊張感」が常に撮影中に付きまといます。
撮影をしながら被写体の美しさ発見することによって一つ安心し、また一つ発見することで安心し、それを何回か繰り返すことで、段階的に緊張からも解放されます。
フォトグラファーが持つ命題が当然私自身に適度な「緊張」を与えてくれるということもそうですが、付け加えるのであれば、私が「被写体を知らないという不安」も緊張を深める一つの要素になります。
初めて出会った被写体のことを知らないということは当たり前ですが限られた時間でその被写の美しさを表現をする為には「被写体を知る技術」が必要になります。知らないという状態では、被写体の美しさを最大限表現することができたと言うことはできません。人に深く入る技術というのがフォトグラファーに一番重要だというのもその通りだと思います。
フォトグラファーとしての役割を全うしたいと願う使命感と、撮影が始まる前に訪れるこの緊張感が混ざり合っている状態というのは、経験を多くしても慣れるものではありません。
もしこの感覚から私自身が抜け出せるのだとしたら、それは本当に「人の技術」と「写真の技術」が重なった写真というのを見ることができるのでしょう。

 
 


ではそのような命題を持つフォトグラファーが像写真を撮影していくことはのような意味を持つのでしょうか?
 
肖像写真とは「美の創作」
 
フォトグラファーは被写体から発信される全てのものを正確に受け取り、その被写体のイメージを正確につくっていくことが求められます。
肖像写真というのは複数人が映り込むわけでもなく、背景にモノが映り込むものではありません。勿論そのように撮影する場合もありますが基本的には被写体のみが四角の枠の中で光によって表現され、それ以外は一切余計なものが入らない写真を指します。素材は被写体だけです。
まだ見えていない美しさを、光と自分の言葉のみを使って、誰もが見えるような形に仕上げなければいけません。「美の創作」が始まります。
ただ美の創作を始めるのであれば、そもそも美しさとは何か?何が美しいのか?という問いに対して答えを持っていなければいけません。この問いはいつも私たちを悩ませることになります。写真を始めた教育生が綺麗な光が分からないように、写真を教えている先輩が後輩に具体的な美しさを答えることができないように、それを答えることは簡単ではありません。
私も正直なところ話せることが多くありません。多くないというのは美しさを知らないというよりも自らが受け取ることのできるアンテナが少ないことを意味し、自分が受け取った分だけのものしか表現することはできません。見えるものを増やし広げていくという作業は写真家には常に求められる過程なのでしょう。
 

人の香りを感じ、表現すること
 
先に述べたように肖像写真が持つイメージというのは純粋にその被写体だけによるものになります。その美しさをどう表現したらいいのでしょうか?
美というものに対する答えは難しいですが、一つに言うなれば、「被写体の自然」が一枚の写真に表現されるべきだと考えます。当然ですが重きを置かれなければいけないのは被写体の意向であって、被写体自身がその姿を不自然と感じるのであれば、当然その一枚の写真を美しいと感じることもないはずです。また被写体の言うところの自然な状態というのは、「写し出された一枚の写真」と「自己のイメージ」が最大限一致している状態であり、フォトグラファーは被写体本人がイメージしている自己を共有して表現しなければいけないことになります。
違う言葉で言うのであれば、人が持つ香りを感じて写し出すこと、それが自然な美しさと呼べるものでしょう。
照らしだされる輪郭や表情、顔の角度や視線、指の一本一本が作る表情、唇の開きまで、そのどれもが自然と調和され整えながらその人の自然が表現されていきます。手を加えるのではなく、あるものを自然に調和させること、それが美を創作することなのだと思います。
だとすれば肖像写真というのは、被写体のそれぞれを自然に連結させ、新しい美しさが表現されることになります。


私は肖像写真というものをこう整理します。
 

この写真は上で述べたように被写体の未だ見ぬ美しさが表現された一枚なのでしょうか?
被写体に直接それを聞くこともできないため、今となってはその答を、写真からしか探し出すことはできません。ただ、この写真に写っている彼女の姿を、今あなたが美しいと思ったように誰もがそう感じているという多くの事実は、「自然な美しさがそこには在る」ということを示すには充分過ぎる証拠になるのではないでしょうか??

Photo by Lee   PhotoEssay by Nishi

この記事をシェアする