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世界で二番目に大好きな君へ

投稿日:2018/4/19

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君はまだ知らない

この一瞬で過ぎ去った一年と永遠のような一夜を経て
君がここに生まれてきたことを
あの日病院のカーテンを揺らしていた夜風の清々しさや月明かりの優しさ
私達の心を明るく照らしていた、この小さな手にまつわる一つの物語を


まだこの体が君と殆ど変わらないころ
私は、ガンだった
一時は持って二日と言われた命だったが
その後の度重なる治療により終いには完治し
バリバリのスポーツ少年として活躍する事で
医学界の発展に寄与した…らしい


しかしまあ当然、良いことばかりでもなく
その時の抗癌剤の使用によってひとつだけ
まだハイハイも出来ないほど幼い時分に私は
子供を作るという事がとても、とても絶望的となった


…と日本語の表現上『絶望的』なんて書いてみたが
私自身は正直、全く絶望なんかしていなかった
それは言ってみれば当然な事なのだが
物心ついた頃から知らされ自覚していたそれは
『そういうものだ』という認識以上になりえず
またそれ故、自分を不幸だと思った事もない。
むしろそのお陰で今の命がある!というポジティブスタイルで
青年期を翔け過ぎた私も平和に大人への階段を登り
月日は流れ、現在の妻と若くして結婚
これからの未来を二人きりのんびり生きていくことにした


優しい風の吹く、空に近い丘の上
引っ越しと共に買ったパキラの苗木を私達は心底可愛がった
弱い二人は何も言わなかったけれど、いじらしいかな
今思えばそれは子供がいつか生まれてくるまでの代わりだったのかもしれない
24での結婚は世間的には少し早いが、平均寿命が85歳だとしてあと60年
夫婦二人だけで暮らして行くのも、結構素敵ではないだろうか
二人だけなら旅行にも行きやすいし、悠々自適に静かに暮らせる
そうだ、木々をもっと増やしたらペットを飼おう
早期退職して別の国に移り住んでもいいし、自分達のお店を開くのもいい
私達は本当によく、将来の話をした
子供は、いつか出来たら奇跡
何年掛かるか、何十年掛かるかもわからない
でもそんな前例は無いし、少しでも期待は持つ事は自分達を苦しめる事になる
あくまで二人きりで、私達は強く強く生きていくはずだった


だから、その知らせはあまりにも突然過ぎた
結婚生活が一年を迎える頃、妻の体に確かに
命が芽生え始めている事がわかったのだ
お医者様さえ奇跡だと言い、周りの人々は皆喜び祝福してくれた。
寝たきりだった祖父は刮目し、広告代理店の友人達からは取材の依頼があった
しかしそんな祝福ムードの中で唯一人、私だけが全く別の世界に取り残されていた…


妊娠を望んでもそれが叶わない方々がいる傍で許されざる発言であろう
だからこそ自分を責める事もあったしこの気持ちを理解して頂ける事も難しい


しかし…
ポジティブに生きてきたつもりの私は自覚も無いままに
恐らく『覚悟』を決めていたようだったのだ
25年という長い長い時間をかけたそれは一厘も揺るぎなく
その結果にいずれの生産も与えない事を約束した、ただただ負の覚悟
そしてこの人生を懸けた覚悟はこれまでの私の人生観や交際関係に
これ以上なく大きな影響を与えてきた桎梏であったが故に…
妊娠を望んで歩んできた生活であったにも関わらず
実際にその場に直面して、私は心の整理をつける事がまったく出来なかった


誰か私を殴って欲しかった
こんな、情けない私を
しかし、しかしわかってはいるんだ
現実を受け入れ、前を見なくてはならない、そうせざるを得ない…


一生子どもを作る事が出来ない人生を宣告され25年歩んできたにも関わらず
ある日突然、やっぱり産めますなんて
本来なら喜ばしい場面なのかもしれない
もしこれがテレビドラマならめでたしめでたし、ハッピーエンドってやつだ
でも現実は…当事者はそうは行かないんだ
人の心は、覚悟は、決意は、矜持は
自ら捨てた夢は、自ら曲げた道理は
簡単には、簡単には行かないんだ…


でも…私達は、産むという決断をした
もともと望んでいた命なのだから、当然だ
しかしこれから私は、新たなる責任と覚悟を背負うことになる
その心の準備とけじめの為に私に許された期間は
25年かけて築いた覚悟に比べてあまりにも短い、たったの1年!
悩み、責め、ぶつかって、でも答えなんか出ない、それは壮絶な1年だった


季節が変わり、私達だけが変われないまま
その夜もやはり突然訪れた


急いで荷物をまとめて、駆け込んだ病院
君と君のお母さんは、本当に本当に、頑張っていたんだ
私も出来る限りの事をやった
そこにいたみんなが必死だった
あんな一年間の苦悩なんか、どこかに吹っ飛んでいた
頑張れー!頑張れー!頑張れー!頑張れー!


みんなが泣いていた
君も、泣いていたね





そして
君の小さな手が「ギュ!」と私の指を掴んだ瞬間…
その力強さが、はじめて私を父親に変えた





みんな笑っていた
君は、やっぱり泣いていたね




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世界で二番目に大好きな君へ


君の手は相変わらず曇りのない好奇心と深い慈愛に満ち溢れていて
不思議なんだ、その掴む先には必ず、君を想う大切な人がいる
そしていつしか見慣れた、この一つのへその緒のような神聖な光景に見惚れて
今日の良き日、私は写真に収める事にした


空は花曇り、午後の柔らかな太陽が草葉のカーテンを抜け
柔らかい素肌を優しく撫でながら広がり、見慣れた部屋を幻想的な空間へと変える
優しい肌触りのクッションや天然素材のおもちゃには母親の愛が込められていて
君をリラックスさせると共に、ボタニカルな空間とも調和してくれた


光が回りすぎないよう鼻筋や指の際にハイライトを当て
立体感を与える為に背景との距離や手前に生まれるハレーションの位置を調節する
明るく柔らかく、でもスベスベ、プニッとした質感は失いたくない
50ミリのレンズは、この手を伸ばせば届きそうな距離感を表現するのにぴったりだ


見てくれ、これが全てだ
まだ父親として未熟で何も持たない私が、唯一君に贈る事ができるもの
これまで出会った沢山の子供達に与えてきた、一つの愛情表現の形
今日だけは特別に、君にも分けてあげたい


いつか君が大きくなって、その手が沢山の手と重なる頃
この一年の家族の物語を聞かせてあげよう
そして君にいつか世界で一番大好きな人が現れるまで
この手をしっかりと守っていきたい




 

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