フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

THIS IS ME,

投稿日:2018/4/14

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Photo&Write by Reiri Kuroki
Coordi by Mayu Kanasugi

@Yokohama Aoba





撮影者としてのひとつの夢は、『家族』の写真を一枚でも多く残すこと、です。

共に笑い合う、その瞬間の記録。私はそこに、普遍的な価値を感じています。
例えばそれは、カメラの前でふざけっ放しだった男の子たちが、やがて成長して親元を離れようというその時に、持って行きたいと思うような家族写真であれば良い。
自分の大切なひとに、「これがうちの家族だよ」と見せる、そんな家族写真のひとつとして、私がここで撮った写真があれば良いと願っています。


入社したばかりの頃、
「どんな写真が好きなの?」と先輩に聞かれました。
家族写真です、と答えた私に、
「何で家族写真なの?」
「どういう家族写真が良いと思うの?」と畳み掛けられたそれらの質問に、当時は答えられませんでした。

家族写真が好きな理由は幾つかありますが、私の場合、そこに投入する自分の想いを確認させてもらえる写真が、家族写真であることが多いのだと思います。
互いに毎日顔を合わせ、共に寝起きし共に食し、話し、関わり、共に暮らしを営んでいく、『家族』という繋がり。
私は、そのひとたちが互いに関わっている、その瞬間の姿こそ、『家族』という繋がりの美しさを見る瞬間だと思っています。

お笑い芸人のネタを真似ながら、ひとつ投げれば10ふざけて返ってくるような、そんな男の子たちの賑やかな撮影現場。
子どもたちにツッコミながら笑い転げているパパママのその笑顔の眩しさは、子どもたちへの深い愛情と、彼らが楽しんでいることへの幸福感に満ちていました。
カメラマンやコーディネーターが膝から崩れ落ちる程笑う度、誇らしげに胸を張る弟たち。
その自信に満ちた表情は、その都度パパママにも向けられていて、人を笑わせることでパパママが笑っている、そのことが嬉しくて、ますますおふざけが加速していく、そんな男の子たちの生き生きした表情。
年頃になって、少し恥ずかしがりたいのに、はちゃめちゃな弟たちに巻き込まれてそうもさせてもらえない、しっかり者の長男は苦笑するしかありません。
いつも最初に、忠実にポーズ指示をこなしてくれるのに、弟たちが繰り出すお笑いポーズに思わず笑ってしまって、力が抜けていきます。
力が抜けて、カメラの存在を忘れて、笑ってしまいます。

そんな彼らの家族写真は、ホリゾントで撮影しました。
シンプルな、ホリゾントでのうつ伏せの家族写真は、ベーシックとも言える写真かも知れません。
しかし、シンプルであるからこそ、そこには『ひと』の要素が多く影響し、『写真』から伝わるものを構成します。
真っ白なホリゾントで撮っているのも、家族全員の横一列の重心を写真の3分の1のラインに置いているのも、両端のパパさん、ママさんの肘をかすめるようにフレーミングしたのも、上を少し空けてあるのも、『写真』という画的な部分をまず整えて、被写体である『家族』への集中を促す為の選択でした。
その『家族』から感じられるもの、それがこの写真の主題です。
私が思う、『家族』の美しい瞬間を、彼らは体現していました。

家族みんなが関わり合いながら楽しむ、その瞬間の姿の美しさ。
それは、いつもそばにいる、そのひとへの愛と関心と、信頼がある関係性が作り出すものではないでしょうか。
私が美しいと思う、その姿を、その空気感を、その関わりを提示できるのが『家族写真』です。
写真という客観性は、目の前の被写体を私が見て、私が感じ、私が選択した表現で記録し、提示することを可能にします。
それが上手く噛み合った写真は、その家族にとって温かな記憶を思い起こさせる記録となると同時に、そこに『私』という人間の一部を色濃く反映します。
私はその写真を見ながら、『わたし』という人間を確認することにもなるのです。

彼らは、家族みんなで楽しんで笑い合う、それが幸せなことなんだと素直に思わせてくれるような、そんな美しさを持った家族でした。
弟たちの繰り出すおふざけも、パパママのツッコミも、長男の少し澄ましたい思惑が上手くいかないのも、『家族』の中で誰もが互いに関わり合っている、その結果として笑い合っている、そんな繋がりだからこそです。
そんな繋がりを、そこから感じられるエネルギーを、私は美しいと感じます。写真にして、とっておいて、いつか彼らが大切なひとに出会ったその時に、「これがうちの家族だよ」と見せたくなるような、そんな家族写真にしておきたくなるような美しさです。
そしてそれは、きっと、普遍的な価値を持つものだと信じています。


個人的には、『家族』というその全てを、無条件に良いものだとは思っていません。
しかし、素敵なご家族にお会いした時には、『家族』というその繋がりに、絆に、普遍的な価値と美しさを感じ、心をときめかせながらシャッターを切ります。
きっとそれは、そのご家族が『家族だから』素敵なのではなくて、互いに尊重し合い、愛と関心を持って関わり合う、ひととしてのその姿勢で向き合う関係性が、そのひとたちを『家族』として繋いでいるから、素敵なご家族だと感じさせてくれるのだと思うのです。
私は、そういう関わりを、絆を、『家族』という繋がりのひとつの基準に置いている。
私がそれを知ったのは、ここで出会ったたくさんのご家族に触れながら、感じたことを考えて得た、自分の価値観のひとつです。


家族写真を撮るのなら、
そのひとたちが、愛と関心を持って相互に関わり合いながら笑い合う、そんな写真を残したい。
「これがうちの家族だよ」
「こんな関わりの中で育ったのが『わたし』なんだよ」
いつか、彼らが大切なひとにそう言って見せるような写真。

それが私の写真であり、それが『わたし』を反映した写真であるのです。










 

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